日本人と畳(いぐさ)の歴史

The history of the relationship between the Japanese and tatami mats

畳と日本の気候について

生活の欧米化が進み、景気の悪化により生活が低コスト化や簡略化されてきたことにより、日本の住宅はフローリングが主流になりました。「たたみ」のある和室は、バブル景気を境に右肩下がりで減少していきました。

そうして今や、「畳」という言葉から連想するイメージは「古くさい」「面倒くさい」「ダサい」などマイナスのものが主流となり、畳に好意的なイメージを持つ人は少数派になってしまいました。
畳に好意的な少数派の方でさえもはや、「畳」を「日常にあるもの」なものでなく「特別なもの」と見るようになってしまいました。我々はこういった現状をも、時代の流れの中での必然的結果と捉えるべきなのでしょうか?

そして、このような状況は畳だけの話でありません。土壁、襖、障子などは、本来日本の気候に適した伝統的建具ですが、同じような理由から家屋での設置頻度が減少の一途をたどっており、今や絶滅の危機に瀕しているといえます。

畳や土壁といった日本古来の建材や文化は、日本の気候や環境に対応して快適に暮らすための最適解として発達し、今日まで使われ続けてきました。それがただコストをカットするため、手軽さというだけで使われず廃れていくのは、未来の日本にとってマイナスなのではないかと私は思います。

昔の未熟な建築技術では、建物の建付けがあまく隙間が多数あり、そのため建物の中に「隙間風」が吹いていました。しかしそのために、建物の内で空気の流れが生れて、自然と換気ができていたのです。土壁にしても、畳にしても、それぞれ「呼吸をする」建材なので、湿気やほこり、有害物質を吸いこんでくれているのです。

京都のお寺に檀家さんが年末の掃除のために集まります。皆で一緒に竹の棒で畳を叩くと、畳から大量の埃が舞い上がります。他の人がその舞い上がった埃を大きな団扇で外へ扇ぎだします。年末の時期になると、テレビのニュース番組でよくそういったシーンが画面に流れます。これは畳のもつ「埃を吸い込む」という特性が、非常によくわかるシーンだと思います。

一方、フローリングの床や和紙やポリエチレンで出来た畳では、このような光景が見られることはありません。

い草や藁以外の新しい素材で作られた畳は埃を吸い込まないため、埃は表面に堆積していきます。人が畳の上で歩いたり動いたりすると、溜まっていた埃が舞い上がります。そして、そこにいる人が、その舞い上がった埃を吸い込むことになります。

ましてや、現代の住宅は密封性が高く、屋外と屋内の空気の流れが断たれています。埃が隙間風と一緒に外へ流れ出ていかなくなり、埃が室内に滞留しがちになっています。

現代社会は、何事においても完璧であることが求められ、欠点や間違いが許されないような風潮、ないしは出来るだけ簡単に、面倒なことは嫌うような風潮があると思います。その傾向が住環境の変化にもつながっているのではないでしょうか。

昨今の住環境やライフスタイルの変化に従って、和室がある家が減り続けています。そんな状況の中で、畳文化の衰退を食い止めるのはなかなか難しい事です。

せめていぐさ商品を家の中に置くことで、畳の持っていた機能を引き継ぐことができないかと考えています。